こころの銭湯とは
カウンセリング・コーチングを受ける前に
神田勇哉のカウンセリング・コーチングに興味を持っていただき、ありがとうございます。カウンセリングやコーチングと耳にすると、重くて暗いイメージを持たれる方がほとんどではないでしょうか。そのイメージは、正解だと思います。そのイメージを払拭させ、相談しやすい環境を作ることが、僕の果たすべき役割であると考えています。
僕はみなさまにとって日本で1番敷居の低いカウンセラーを目指しています。「ゆるい」「面白い」「気を遣わせない」を大切にして、みなさまに寄り添いつづけていきます。
神田勇哉について
カウンセリング・コーチングを受ける前に
神田勇哉がどのような人物なのか知っていただけるよう、詳しくご紹介します。
こころの銭湯で大切にしている考え方や方針、神田からのメッセージをお伝えします。
そして生い立ちノートでは自身の過去の辛い経験を
どのように乗り越えて現在に至るのかを、ご紹介いたします。
大切にしていること
-
01
ゆるい
-
02
面白い
-
03
気を遣わせない
自由な生き方を大事にする
24時間365日、いつでもどんな事でも対応します。カウンセリングというと敷居が高いですが、神田勇哉のカウンセリングは近所の駄菓子屋さんに行くくらい敷居が低い。相談者と同じ目線で関わり、気楽でフレンドリーで堅苦しくない!そして、秘密は守る!否定しない!だから何でも話せる。きっとあなたの「自由な生き方」が見つかります。
メッセージ
過去の辛い経験があったからこそ今の自分があり、みなさまを迎えることができます
こころの銭湯、神田勇哉です。
現代社会は悩みもストレスもたくさん。だけど、相談できる人がいない。「カウンセリング?聞いたことはあるけれど、相談するほどではない。」「行く勇気がない。」そんなあなたのために、日本で1番敷居の低いカウンセラーがここにいます。
私は、三重県生まれの30代。小さい頃は家賃3,000円の家に住む母子家庭に育ちました。母や友達の顔色ばかりうかがって自分を出せない人間でした。貧しいことに恥ずかしさを感じ、家庭のことを友達から必死で隠していました。高校受験を機に、初めて自分で選択し頑張れば報われることを知り、大きく変わりました。それでも社会に出てから、様々な苦難を経験してきました。
そんな私のモットーが、“自分らしく生きること”。私のことを私よりも真剣に考えてくれる人がいたから私はここまで来られました。あなたが自分らしく生きられるように、あなたがストレス社会で生きるエネルギーを得ることができるように、あなたのこころの銭湯に私はなりたい。
ぜひ、気になったら1度、気軽にご連絡ください。日本で1番敷居の低いカウンセラーが、あなたをお出迎えいたします。
神田 勇哉
生い立ちノート
-
1987-20000-12歳
神経質で顔色をうかがう子ども「勇哉」誕生
三重県四日市市に生まれ、家族は父と母、僕、妹の4人家族。家族としては愛情もチームワークも感じられない家庭だった。お母さんは常に機嫌が悪く、理不尽な人で世間体を気にするあまり厳しいしつけ。そのしつけを受けた僕も、世間体を気にして人の顔色をうかがうように。
小学生の時に剣道を始め、剣道の稽古は厳しすぎるお母さんのしつけと比べると息抜き。当時の僕のズル賢くて我慢強い性格のおかげか三重県で1位、全国大会へ出場できた!でも、練習後に迎えに来るはずのお母さんは来ない。妹と泣きながら帰ったことも。お母さんに甘えたくても甘えれない。自分のことは自分でなんとかしなきゃと思うように。 -
2000-200312-15歳
本当の勇哉はドコ?! 募る焦りと恥ずかしさ
中学生になり、幼なじみがいた卓球部へ入部。しかし卓球部には気の合う友達がおらず、顔色をうかがいながら上手く付き合っていたが、相変わらず神経質で自己主張ができないまま、中学2年生まで過ごした。
中学3年生の春、仲の良くなった友達は成績優秀!でも僕の成績は悪く、塾や家庭教師をつけても成績は伸びなかった。この頃の家庭環境は母子家庭で、家賃3,000円の風呂なしの市営住宅に住んでいた。周りから「さみしい」や「貧しい」と思われないように必死に隠していたこともあり、焦りと恥ずかしさが募る日々だった。 -
2000-200312-15歳
限界突破!自分の意志で踏み出す第一歩
だんだん友達との話についていけなくなり、仲間に入れない疎外感と話を合わせることに限界がきた。そして気が付けば、人の顔色をうかがうのをやめていた。塾も家庭教師もやめ、卓球部からサッカー部へ転部し、自分の意志で初めて行動した。
友達から遊ぼうと誘われても断り、ただ机に向かって猛勉強。勉強法は「ひたすら教科書を写す」ことだった。目指すは県内1の公立工業高校、早く就職して貧乏生活を抜け出したかった。お母さんに止められるくらい必死に勉強した、「家族と貧乏が恥ずかしい!」、「お母さんを見返す反逆心!」が自分の選んだ道を死に物狂いで突っ走らせた。
そして県内1の公立工業高校には見事合格。夢のような経験と「頑張れば報われる」を身をもって知った。 -
2003-200715-20歳
熱血高校生がやる気のない社会人へ
高校では自分の貧乏エピソードを笑い話に変えて自分を表現できるようになり、自分の周りには自然と友達の輪ができた。恥ずかしいこともさらけ出して、思ったことは全部言おう。人に隠す必要なんてないと思った。
それと高校受験の時に経験した「頑張れば報われる」を信じ、勉強ではクラスで常に上位、部活では剣道部の主将、すべては卒業後に大企業への就職するために励んだ。そして志望していた会社に見事内定が決まった。
しかし就職したのはいいが仕事内容にまったく興味がない、作業が簡単でやりがいがない。その状況で無責任さ、やる気の無さが周りへと伝わり、職場の人とは1年間会話をすることがなかった。 -
2007-200920-22歳
打ち砕かれた自信と精神。ギャンブル沼にハマる。
職場では苦手な先輩が班長に。その先輩は「会社版お母さん」のような存在で理不尽、威圧的、細かい、超スパルタだった!僕は目をつけられ、いつも怒られる。そして入社2年目のある日に遅刻し、その日から1年半も無視され続けた。多くのストレスが重なり、身体は悲鳴をあげた。
そんなストレスを軽減させたのはギャンブル。友達との約束に遅れたり、ごまかしたりなど寝ても覚めてもギャンブル。何度もやめようとしたがやめられず、そんな時期を3年ほど過ごしていた。やめられないなら勝つしかない。その時に始めたことは「勝っている人の真似をする」ことだった。 -
2006-200919-22歳
「真似して学ぶ」を仕事でもやってみた
ギャンブルで勝つために収支表をつけたり、ブログを読んだりして依存している自分をコントロールできるようにした。真似をしたことで勝ち続けることができ、それが自信へと変わっていった。
この自信を仕事に活かせないか?
職場には班長に怒られない先輩がいた。その先輩は「与えられた仕事に興味を持っている」、「仕事とそれ以外の時にメリハリがある」、「人間関係を大切にしている」、それを僕も真似してみようと思った。さらに僕がしたことは「毎日班長の良いところをノートに書く」ことだった。班長のことを知ろうとした。出てこなくても書いた。仕事でわからないことは班長に聞いた。勇気を出して食事にも誘った。すると、僕の中のなにかが変化をし始めた。 -
2009-201122-24歳
大当たり!真似して掴んだ「楽しい職場」
僕はいつしか相手や仕事について知ろうとするように。今までの僕は逃げたり、本気で取り組んでいなかっただけだった。
ノートをかき出して1年が経ったある日、「本当に神田は変わったな!」と、目に涙を浮かべながら言われ、目を見て話してくれる班長や慕ってくれる仲間のおかげで、仕事が楽しくなった!仕事と班長のことを好きになれた。
そして班長は係長へと昇格し、その係長の一声でリーダーとなった。僕はリーダーとして新しい職場へ転籍。周りから僕と係長の関係は「師弟関係」と呼ばれ、他職場の人から声をかけてもらえるようになったことで自信へとつながっていった。 -
2011-201324-26歳
人生どん底。自分もお母さんと同じだった?
新しい職場では意見をはっきり言う、先輩の真似をするようにしていた。リーダーとしての自己中な僕をヒートアップさせ、「一貫性のない僕の言動」と「自分は動かずに人に強く当たる」を繰り返しているうちに話しかけてくれる人が減った。気が付けば、小さい頃にお母さんからされていたことを僕が周りにしていた。
いろんな人の真似をすればするほど苦しくなり、自分を嫌いになる。通勤途中には心臓がドキドキ、休憩中は人を避けるように休憩、先輩との会話で顔が引きつってしまい会話が弾まないなど。プライベートではギャンブルが楽しくなくなり、友達といても笑えなくなった。
会社を1週間休んだ後、係長へ転籍依頼をした。人生で一番つらい時だった。 -
2013-201426-27歳
人生の師匠、「ゆうや」との出会い
社会人2年目の時に同じ名前で同い年の「ゆうや」に出会った。カウンセリングやコーチングの仕事をしていたが、すごさを知らずに遊び友達として出会った。
住んでいるところが遠方だったため頻繁に会うことはなかったが、体育会系出身かつ「人生」と「人」にアツい男。なにかあったときはいつも相談して、アドバイスや課題を与えてくれた。
人生で一番つらかった時には、環境を変えたいその一心で助けを求めた。するとゆうやは、「おお、今のお前はなにも問題ないやろ。」と笑った。僕の気持ちを汲み取ってくれず少し不安になったが、それから週末は必ず会いに来てくれ、ゆうやは普段通りのままでいてくれた。
彼はいつも本気でぶつかってくれる、誰よりも頼れる存在であり師匠、メンターだった。 -
2013-201527-29歳
「人の3倍苦労する」 勇哉革命が始まる
ゆうやから「人の3倍苦労しろ」と言われた。その一言を前向きに捉えたことで僕をさらに変えていった。
会社へは早く出社し、率先してトイレ掃除やゴミ捨てなど人が避けがちなことをした。常に人の3倍苦労することを心がけて、自分のために頑張った。仕事も新しいことに次々に挑戦。すると周りの人から声をかけてもらえるようになり、仕事の自信と知識もついたことで人がついてくるようになった。同時に気持ちも少し余裕を持てるようになっていた。
今思えば、高校受験の猛勉強は誰かにやり方を教えてもらったわけではなく、自分で見つけたやり方。苦痛に感じなかったのは、自分のやり方・ペースで進めていけたから。先輩の真似をして上手くいったこともあったけど、それは自分が考えてやったことではない。「ゆうや」は最初から答えを言わず、あえて「人の3倍苦労しろ」ということで、自分で考えることや自分らしくいることの大切さを教えてくれた。僕以上に僕のことを考えてくれる理解者に、僕は救われた。 -
- 現在
気付いたこと。それは自分らしく生きること。
自分で行動する中でたどり着いた答えは「人を元気にする」こと。それが僕にとっての1番の幸せ。理解者が1人でもいることで、どんな壁でも乗り越え、本気も出せる。あなたにも実感してもらいたい。そこで、僕は会社を辞めて相談業を仕事としていくことに決めた。生きていくということは人と繋がること。ひとりでは生きていけない。だからあなたのお話が聞きたい。
実は自分を変えることは簡単で、自分が変われば人や環境は必ず変わっていく。もしあなたの中のつらい経験が「自分らしさ」を妨げていたら、僕が変えてみせます。僕が嫌だと思っていたお母さんや係長は、僕にとって必要な人たちでした。そして、「ゆうや」は僕にとっての良き理解者です。本当に感謝しています。
ひとりで悩むなら、まず僕に気軽に話してみてください。自分らしく生きていこう。逃げたいときは一緒に逃げよう。自分らしさを一緒にさがしにいこう。神田勇哉は、あなただけの「こころの銭湯」になります。
こころの銭湯でできること
こころの銭湯ではカウンセリングとコーチングをおこないます。
神田勇哉が考えるカウンセリングとコーチングにはそれぞれ特徴があります。
あなたの悩みに合う解決方法を見つけ、一緒に乗り越えていきましょう。
神田勇哉のカウンセリング
神田勇哉は、身近に感じていただけるようなカウンセリングをします。まずは誰よりもあなたのことを理解できるように努め、そしてあなたが本当に望んでいること、本当の幸せを一緒に考えていきます。
他のカウンセリングを受けたけど「なにか物足りない」、「なにも変わらなかった」、「そばにいてくれる仲間がほしい」と感じたあなたへ。人生を変える瞬間を一緒に見に行きましょう。
神田勇哉のコーチング
神田勇哉は、夢や目標がある方に本気を出してもらえるようなコーチングをします。夢の実現のために、一緒に頑張る仲間が必要ではありませんか。あなたが目指すところへ向かうために、一緒に考えていきます。
あなたの「こころの応援団長」として時には熱く、時には厳しく奮い立たせられるように全力でサポートをします。
カウンセリングとコーチングのちがいを知る
自分に合う方法はどっちかな?自分から見た自分はわからないことだらけで、
この先どうしていきたいのかイメージしにくくはありませんか。
カウンセリングを「海」、コーチングを「山」と例えると、なりたい自分のための方法が見えてくるかもしれません。
神田勇哉は一度会ってお話をし、一緒に考えて解決方法を見つけていきます。
目標へ向かって「のぼること」
目標である山の頂上を目指すイメージです。途中では険しい道や寒くてつらい場所がありますが、休憩所(山小屋)で自分を奮い立たせながら一緒に頂上を目指しましょう。
海の中から「あがること」
冷たくて苦しい海の中から、息ができて暖かいところまで泳いでいくイメージです。海の底は暗いですが光を見つけ、一緒に乗り越えていきましょう。