ムタさんと僕③
ムタさん〜最終章〜
まさかのムタさんが、家に入れてくれることになった。
びっくりしたのは、さっき公園行くまでに通った道の傍にあった「アパート」やったということ。
「これが僕の家だよ」とか、言ってくれたら良かったのに。
昔、中学校の時に東京で一人暮らししとったじいちゃん家に友達と3人で行った時の「アパート」に似とった。
築60年で大家さんは1階に住んどる。みたいな感じ。あぁ、あれや、オードリーの春日の「むつみ荘」みたいな感じ。
コンッコンッという割と高めの階段の音と、じいちゃんの思い出に懐かしさを感じている所で、部屋に着いた。
ムタさんは扉を開けて、「どうぞどうぞ」と、手招きをした。
靴を脱いで入ると、空気が「ズンッ」と重くなった。
霊感全くないんやけど、『絶対、おるわココ』ってなった‥ほんまに。
外はカラっからのいい天気やのに、部屋の中はカーテンで閉め切って、真っ暗。座れない程のモノとゴミ。
臭いがちょっとアレすぎて、「まじでどうしよう」ってなった。
「ムタさん、ここで良いです!」
と言って、カーペットの手前のフローリングに正座して座った。できる限りコンパクトに。
その姿勢で、「この2ℓのお茶は、安くて美味しいよ」って話とか、「このプレステ4は買ってから使った事ないんだよ」って話とか、
「電話で見せてくれたチョコスティックパンはこれだよ」みたいな、実りのない話をたくさんした。
息できやんくなってきて、ガチで身の危険を感じたから、「ムタさん、外にご飯食べに行きましょう!」と言い、外に連れ出した。
サイゼリヤ行ったばっかりやのに。
それから、カレー食べて三重に帰ったんやけどさ、ほんまにいい思い出やった。
《締めに入ります。》
あれが「夏の日の2019」。
あれから3年経って、ムタさんとは今でも繋がっとる。ムタさんの誕生日や、「夏」になるとムタさんを思い出すので、LINEしたりする。
カウンセラーとして動き始めて、一番濃い出会いやったのがムタさん。
銭湯が全く認知されていなくて、利用者さんが壊滅的に居なかったときから、こうやってお店を出せるようになった現在まで、ずーーっと関わりを持ってくれた。
人の「つらさ」は定規で測れるものでもないし、そんなもの決めるものでもない。
でも、ムタさんを越える猛烈に厳しい環境で生活しとる人には、出会ったことがない。
だからじゃないけど、一番思い入れがある利用者さんもムタさんなのかもしれやん。
しかも、3回に分けてブログを書いとるこの3週間くらいの間にムタさんからLINEが来て、嬉しかった。
近々、千葉県に会いに行ってこようと思う。
銭湯がデカなった事と、これからもデカくする為に頑張っていくこと。は、あえて言わないでおこう。
原点はいつもムタさんやし、偉そうになってしまいそうになったらムタさんを思い出すよ。という事をしゃべってくる。
あのサイゼリヤで
家はまじで辞めとく、梅雨やしね