お父さんの記憶
※このブログを母も父も見ているのを承知で話しまーす。笑
小学校6年生のときに離婚して、そこからずっと離れて生活しとった。
同じ四日市市内に住んでいたものの、
お母さんには彼氏がおったし、俺らに連絡しにくかったんやと思う。
あんまり会うことがなかった。
俺は中学生やし、両親に対して何かを求めるっていうのが本当に少なかった少年やったこともあり、あんまり寂しいとは思わんだ。
それでも数ヶ月に一回、電話をかけてサプライズ訪問をして、お父さんの家に泊まりに行くことが楽しかった。
どれだけ仕事が忙しくても、必ず朝ごはんを作ってくれた。
お母さんの朝ごはんでは、ウインナーが細かく切ってあって、一人分のウインナーはせいぜい1.5本やったのに対して、お父さんは一人3本あった。
塩っ辛い大きめの手作りおにぎりの中には、グリルで焼いた塩っ辛いシャケが豪快に入っとって、めっちゃ食べ応えがあった。
特性味噌汁もこれでもかっていうくらいデカい芋と豆腐が入っとって、減塩の逆、増塩MAX。
海水浴5時間した後くらい喉が乾いたことを今でも鮮明に覚えています。
お父さんの家は常に綺麗にしてあって、いつサプライズ訪問をしても安定してピカピカやった。
社会人になってから聞いたけど、何回も彼女がおったらしい。
俺らにそれを気づかれないように、どんなときでも独身を装ってくれとったらしい。
当時の俺は「彼女つくれば良いのに」「何で独りが良いんやろ」って思っとった。
多分、もか(妹)がお父さんっ子やったってのもあり、傷つけたくなかったんやろう。
今youtubeで流行っている「切り取り」にいうと、
俺のお父さんの記憶は、塩辛い朝ごはん。部屋が綺麗。穏やかで優しい。
そんな感じ。
最近、そのお父さんと衝突があった。
今、
俺のお父さんのイメージは、「お父さん。」
明らかに俺の方が頭いいし、しっかりしとる。
でも、自分に子供ができて分かった。
お父さんにとって俺は、「永遠の子供」やということ。
お父さんが俺のことを息子やと思っとる以上、
俺はお父さんを一人の人として見る前に、お父さんとして接していけばいい。
というか、そうあり続けたいと思った。
あれ?
まさか、書きながら涙が込み上げてくるとは思ってなかった。笑(涙)
何の目的もないけど、したい話もないけど、
お父さんに会いたいと思ったときは、何も考えずにアポ無しで家に突撃しよう。
お父さんが死んでしまう前に(まだ54才やけど)
モーニン塩辛定食を、100回は作ってほしい。
お父さんと一緒におれるのは後何年?
30年くらいあったとしても、正月を越せるのは30回しかない。
「あけましておめでとう」を30回しか言えやん。
衝突から生まれる、家族との関わりというのを考えさせられる今日この頃でした。