モノを大切にしたら自分も人も大切にできるんじゃね
20才のときに師匠に与えられたワーク(課題)で、
「命を食べることの大切さ」って言うのがあった。
小学校から俺は、家賃2700円の風呂なしボロボロ市営住宅に住んどったんやけど、
食べ物には困ったことがなかった。
それは母の育った環境からの影響が大きかった。
母もまた貧乏で、「自分の子供達にはそうさせたくない」という想いで俺たちを養ってくれとったらしい。
ボロボロで犬もたくさんおって、
その辺はおしっこだらけでう◯こまみれの汚ったねぇ部屋でも、
食卓には必ず3品以上のおかずがあった気がする。
「食」に恵まれとった子供時代、中学校のときに自分の弁当を近くの竹藪に捨てとったときがあった。
自分の弁当が恥ずかしすぎて、学校で食べれやんだ。
(もーっと深い話は、自分ノートから見てね)
そうゆうのをひっくるめて、それが社会人でも引き継いで、
食に対する感謝の想いが全くなかった所を見られとったんやろうな。
確か、「いのちの食べ方」って言う映画を見た。
動物が殺されて、加工されて、市場に出回る姿を映像で見たときに、
あまりにも衝撃を受けた。ほんまに閲覧注意やで、気をつけて観て!!
そこから、米一粒も残さんことを心掛けた。
飲み会とかの大宴会で食べれやん、大量の揚げ物や惣菜をパックに詰めまくって持って帰ったり、
パックを提供してくれやん店では、おしぼりの袋にいれて持って帰ったり。
米でも動物でもその「人」達が育ってきた過程を、
早送りの動画でイメージして見るようにしとる。それをしたら、申し訳なくて捨てれやん。
こんなこと20才になるまで気づかんだのが、
恥ずかしくてしかたなかった。
食べ物だけじゃなくても、モノでも一緒。
そこには魂が入っとると思うようにしとる。
車やスマホ、服でもなんでも。
生まれて来たことに意味があると思うし、
その命を粗末にしたら可哀想やな、ってマジで思う。
高級車買って全く掃除せん人とか、靴かって洗わん人とか、
すぐ買い替える人の意味が分からん。
んー、意味が分からんというか、
そこを大切にできやんだら、何も大切にできやんなって思ってしまう。
じゃあ、いつでも完璧に全て大切にできとるんか?
って聞かれたらそうじゃないけど、そうゆう気持ちは常にある。
これからどれだけデカくなっても、大切な事をしっかりと分かっておくことと、
態度だけはデカくなってはイケナイな、、と思う今日この頃。 あでゅー