岩崎先生
中学校の時の恩師、岩崎先生が開店祝いに遊びにきてくれた。中学時代、俺は母子家庭で家にはお金がなかったはずやのに塾や家庭教師をつけてもらっとった。これはお母さんが小さい頃に習いごとができやんだ反発で、我が子にはさせるまいと無理して通わせてくれとった。当時そんな事を考えるほどの余裕はなく、通うも通うも、火曜も通うも、成績は下がる一方やった。中3の時、岩崎先生が担任になって環境がガラリを変わった。自由な教師。歌って、踊って勉強しなさいなんて言葉は絶対に言わない人やった。俺は15才にしてはじめて”危機感”を覚えて勉強をすることになった。行ける高校を探す方が難しかったのに三重県で一番賢い工業校の受験に合格した。先生は発表のときに横で「良かったなゆうやー」号泣しとったのを鮮明に覚えとる。ありがとう第二の母、いまの俺がおるのは先生のおかげです。