【神田カウンセラー】ばあちゃんを振り返る日記

【神田カウンセラー】ばあちゃんを振り返る日記

 

ばあちゃん、37年間ありがとうな。
 

2025年2月9日18時
小山田病院にて享年。


肺ガンステージ4を

宣告されたのが10月。

 


市立病院の帰りに俺と会って、

 

「肺がんやったわ」

 

と、また俺に教えてくれた。


2007年の乳がんの時も同じ。
まず初孫の俺に教えてくれる。

 


ばあちゃんにとって、
俺が特別な存在と言うことが
俺も嬉しかったし、
俺にとっても
もちろん特別な存在やった。

 


小学校の頃から
37歳になるまで
ずっと話す内容は変わらない。

 


「ともみは旦那とうまいこといっとんのかな?」


「ただゆきの体がすごい心配。」


「兄弟は仲良くなってくれやんのかな」



ばあちゃんは4人子供を産んで、
次女7歳の時に亡くしたし、
離婚もしとるから、

3兄弟をほぼ一人で育てあげた。



俺が物心ついたときには、
3兄弟たちから



「ばばぁ!」



と呼ばれる存在になっていて、

俺がお母さんにそんな言い方したら
間違いなくしばかれるやろうな。

と、思っとったことを
今でも思い出す。

 

ばあちゃんは3兄弟に対して
常に申し訳ないなと言う
思いがあったんやと思う。


 

だからこそ、子供たちに
素直になれやんだんやと思う。



俺を含む他の孫には


「なんでともみはあんな言い方しかできやんの」


とか
 

「ただゆきは酒飲みすぎるのがあかん」
 

とか、

親なんやったら、
直接言ってあげればいいのにと
思うようなことも、
陰で俺らに愚痴るような感じだった。


 

当時はわからんだけど、
いまなら、ばあちゃんが
なんで素直になれやんだかはわかる。


 

申し訳なかったんやな。



でもそれを言ってしまったら、
自分が壊れそうで言えやんだんやな。

 

自分が離婚して
子供達に迷惑かけたことも、


贅沢させれやんだことも、


甘えさせてあげれやんだことも。


だから、孫達には
精一杯やってくれた。



それを見とる3兄弟は腹立つわな。

 

自分達はどうしても貰えんだ愛を
孫が簡単に貰っとるで。


18年くらい前、
ばあちゃんは
3兄弟達から総スカンくらったときに、
ほんまにいく場所がなくて、

俺はばあちゃんと
一緒に住む決断をした。

 

ともみとただゆきに
それを告げにいったとき、


ばあちゃんは二人から猛攻撃されて
攻められ続けとった。


俺はそれでもばあちゃんは
間違ってないって思っとったで、



「俺もばあちゃんを嫌いになるために、菰野で一回生活してみる!!」


と笑顔で言っといた。


 

車に布団をのせて、
菰野に向かう道中、
あまりにも悲しそうで
申し訳なさそうな表情をしとったので、

 

「俺、思ってないでな。あの人たちが間違っとんで」


って言っといた。

 

そこから5年間、
ばあちゃんと楽しい生活ができた。


1Kのアパートやったので、
ベッドで俺が寝て
その下にばあちゃんが寝る。



なんにもできやんくらい
狭かったけど、


小学生のころから描いとった
夢が叶った感覚やった。

 

そうなった頃でも
ばあちゃんはともみやただゆきに


「捨てられた」


って思っとって、
ばあちゃんの前では
名前すらだせやんくらいの状況やった。

 

俺の結婚を機に、
行く場所がなくなるので、
老人ホームを探すことになった。

 

その間も子供達との
わだかまりが消えず、
このままどうなるんやろう
って思っとった。



自分が心理の学びを深めていく上で、
ともみやただゆきが
本当にばあちゃんのことを
嫌いな訳じゃないってことに確信を得た。


 

ばあちゃんに愛されたかったけど、
欲しいものをくれなかったから、
だだをこねとる。

 

もちろんそんなこと言ったら
殴られるけど、
間違いなくそうなんやろうなと思えた。


 

それを二人に伝えても、


「ほんまで嫌い」
 

「許せやん」
 

って言い続けとったから、
もう言うのを諦めて、何年もたった。


 

そして2024年10月に肺がんが宣告され、
1番最初にきいたのは俺。


お母さんに言うでな?と
ばあちゃんに聞くと、


「ともみには言わんといて。怒られる」
 

でも伝えた。
 

お母さんは同様しながら、
冷静さを保つために
ばあちゃんの否定をしつ続けた。


 

「しゃーないわな、あんな不健康な生活しとんのやで」
 

「もう歳やで、ヘルパーでも呼んで介助してかなあかんのっちゃうの?」



不安と受け入れたくない事実を
怒りで消化したかったんやろうな。

 

そこからお母さんは変わった。
 

今までばあちゃんに
してもらえなかったという
嫌な思い出や、許せない感情を、



「ある」



という風に書き換えて、
子供のころから
ばあちゃんに甘えたかった気持ちや、
もっとそばにいてほしかった気持ちを受け入れた。



そしてその1ヶ月後、
(2024年12月)

最後ばあちゃんの生まれ故郷、
大分まで3兄弟を誘って行くと決めた。

 

ひでかつは行くと言ったが、

ただゆきはまだ許せてなかった。
 

ばあちゃんのことも、

兄弟に対しても。


8年ぶりくらいやし、
みんなが"この時"を恐れとったでな。


ばあちゃんの最後。


= 兄弟の集合。

 

こころの銭湯で
心理学や潜在意識を
有料で学び続けとる成果もあってか、
お母さんはこの争いを「愛」に変換できた。



いちぬけ。



でもただゆきがそうはいかない。
 

ただゆきは、特に他人思いで、
感情的で熱いひとなのもあって、
家族に対する思いも特別つよい。


 

それなのに、
どこか大人ぶる姉ちゃんや
兄ちゃんが嫌やったんやろう。



姉ちゃんや兄ちゃんに
甘えたかったのに、
受け入れたてもらえなかったのが
つらかったんやろう。


 

そして、それが怒りになり、
どこまでいっても、
自分のことを見下してきとる感じがして
悔しかったんやろう。


 

3兄弟で見送るということが
できそうにないままま、
ばあちゃんの体調が悪化して、
いよいよってときがきた。



その前日、ただゆきから
俺に電話がはいり


 

「悪い…最後、3兄弟で見送らせてくれ」


「繋いでくれ」
 


と泣きながら言ってきた。

 

俺は忙しいでお母さんに
電話してその旨を伝えた。

 

人生過去一泣きながら、
3人でばあちゃんのところに
行ってあげてくれと伝えた。


 

そしてこの願いがかなった。

 





 

最後に、

俺にとってばあちゃんは
なんやったんやろう?


 

と振り返ると、

 

 

居場所。



そこにいてくれる存在。

 

愛。



ばあちゃんにとって俺は?

 

 

もちろん、俺と同じ。



プラス



子供達との架け橋。
 

そう思ってくれとったら嬉しいな。




 

ばあちゃんが死ぬ悲しさより、


3兄弟がこうなった喜びが
勝ってしまったもん。


 

すごい伏線はってくれとったんやな、
ばあちゃん笑



ずーっと親子で不仲を演出しつつ、



最後にみーーーんなに囲まれていく。

 

どんなサプライズや!!
 

ばあちゃんの願い、叶ったな。


おめでとう。

そして、

ありがとう。

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