【新美カウンセラー】みんな愛されてる
2025年1月26日
東京で素敵な講演会がありました。
私は母との関係で
大きな変化がありました。
これも矢部先生の学びあって
ここまでこれました。
そして感謝を伝えました。
そしたら、東京での講演会で
「その話、伝えてみない?」と
矢部先生からお話をいただき
とても貴重な機会を頂きました。
ここでも少し書かせていただきます!
私は長い間・・・
「愛されていない」
「いつも私は2番目の存在」
そんなふうに感じて育ちました。
それは、お母さんが見ているのは
いつも私ではないように感じていたから。
母はシングルマザーだったので
沢山仕事もしていたし、彼もいました。
彼に裏切られたり
喧嘩して傷ついて
さみしくなったら
私のところに帰ってくる。
それが可哀想でもあり
嬉しく思ったことも
何度もありました。
「いつも辛そうなお母さんを、
私が幸せにしてあげる!」
だから誰のところにも
いかないで・・・
「私がお母さんを1番大好きなように
お母さんもいつも私を1番大好きでいて。」
そう願っていました。
だけど、どんなに望んでも
その願いは叶うことはなかった。
お母さんとの関係の中で、
私はどこかで、
「愛を受け取ることができない自分」
「愛されない自分」
と大人になってからも
誰かと過ごしても
「愛されない自分」
それを選んできました。
ちょうど6年前
母は子宮がん
脳腫瘍・・・
そして、パーキンソン病
認知症・・
落ち着いたと思ったらまた病気。
これを繰り返していき
病気が進行していく中で
母も私も葛藤がたくさんありました。
「母を幸せにしてあげたい」
でも、母は幸せになろうとしてくれない。
お母さんを幸せにしてあげれない
自分を責めて苦しくて苦しくて・・・
母から距離を取ろうと
何度もしたけど、
私が母と離れれば離れるほど
母は自殺を繰り返したり
ちゃんと歩けないのに
外に出ては転倒したり
帰ってこれず、
警察に呼ばれたり、
そんなことが増えてきて、
私は母に優しく出来なかった。
家で介護を続けるにも
限界を感じ施設で、
しっかりとした
サポートを受けてもらおう。
ホームでお友達をつくって楽しく
優しい職員さんにお世話してもらって
そうすれば私も心の余裕が出来て
きっと母にもっとやさしくなれる
「お母さんがどうか笑顔になりますように」
と決断しました。
だけど・・・
母は、笑顔になることはありませんでした。
施設で部屋から一切出てこない。
職員さんにも利用者さんにも暴言を吐く。
幻覚が見え部屋中を水浸しにしたり
鬼がでる!って椅子にのったり
ベットからわざと落ちたり。
そのたびに施設の方から
毎日電話がなる・・・・
施設に預けることを反対してた
叔父からは、
「お前が悪い!」
「お前はお母さんをこんなふうにした!」
「殺す気なんだ!」
「お前は人間じゃない!」
って言われたり。
「なんで私が悪いの?」
「どうして?」
「私だって今まで一生懸命してたのに・・・」
お母さんが幸せになるように。
笑顔になることを
誰よりも願ってたのに・・・・。
なんでわかってくれないの?
お母さん・・・
私が小さいころ
あんなにお母さんを求めてたときは
こっちを振り向いてくれなかったのに
「どうして今さらじゅりちゃん、じゅりちゃん」
って今さら呼ぶの?
自分が必要なときだけ私を呼ぶのはやめて!
お母さんはズルいね。
今私は苦しいのに
なんで助けてくれないの?
そう思ってても、
母は良くなるわけではなく
だんだん悪くなっていく。
施設の方からこのままでは
ここにはいてもらえません!
一度精神科にいって
入院を覚悟でいってください!
そう言われました。
母の姿をみて・・・
このまま精神病院に
入院することになれば
面会も今みたいにできなくなる。
今より確実に悪くなる。
私が最後にこの人に
私ができることってなんだろう?
って思ったとき。
私は、この人に
本気で愛を伝えてみよう!
そう決めました。
私の顔をみれば、
「さわるな!」
「近寄るな!」
「帰れ!」
「じゅりちゃんは私の子じゃない」
「じゅりちゃんなんてきらい。」
って言われ続けたけど
怖くて触れなかった
母に触れてみた。
そしておかあさんに声をかけてみた。
「お母さん、今までありがとう」
「もう十分だよ」
「私しあわせだよ」
「もう頑張らなくていいから」
「お母さん大好きだよ」
母に声をかけ続けるうちに
お母さんの心にも届き始めた。
焦点もあわない
表情もない
お母さんから涙ができました。
そのとき・・・
私もなんだか涙が止まらなかった。
今まで私も苦しかった
沢山、自分も責めてきた。
でも、きっと母も
たくさん葛藤してたんじゃないかな?
今まで私が知らない間に
自分のこと責め続けてたんじゃないかな?
「私愛されてない!」って
思ってたけど・・・
本当はすごく愛されてたんだよね。
母への愛と感謝を
伝えた瞬間であり
同時に、
自分自身を許す瞬間に感じました。
数週間後・・・
母の手を擦ってたら
「じゅりちゃん幸せになろうね」
「大好きだよ」
「ありがとう」
じゅりちゃん、私の子どもに生まれてきてくれてありがとう。
っていってくれた。
「お母さん、ありがとう」
「私もお母さんの子どもでよかった」
「大好きだよ」
って私も心の底から
伝えることができた。
それから母は落ち着き
精神病院に入院せずに施設にいる。
施設でみんなとご飯を食べるようになった。
笑顔をみる回数が増えた。
お話も体調が良い日はできるようになった。
そんな変化が起きたあと、
施設からの電話が減り、
「娘さん、ここにいる間は私たちに任せなさい」
おじちゃんからは
「じゅりありがとう。じゅりのおかげや」
おばちゃんからは
「じゅりさん一緒にがんばりましょう」
敵のように感じてた人たちの
言葉がどんどん変わり始めました。
これから先お母さんは
病状は良くならない。
どんどん、悪くなっていく。
あとどれくらい
こうやって会話できるだろう?
でも残された時間を
精一杯楽しんでほしい。
そう願っています。
お母さん今日ね、
お母さんのこと話してきたよ。
たくさんの方の心に・・・
温かいものを伝えれたからね。
みんな自分が欲しかった愛と
形が違うと・・・
「愛されなかった」って
思ってしまう。
でも、みんなちゃんと
愛されてるからね
この機会をいただけたこと
本当に感謝しています。
ありがとうございました。